Mac&Winのパソコンレスキューでおなじみの、シトラス プレゼンツ・・・
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  シトラスメールマガジン
 
 「柑橘系林檎新報」583 2014.8/7
 
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  今週のシトラス
 
「悲しい法則」
 
 相変わらず体重が一進一退している
昨今でございます。
昔医師に、
「すぐ太る人は、生きる為に食べられる
時に脂肪を溜め込む遺伝子を持っている
この遺伝子があるから、人類は厳しい
時代も生き延びて来た。
あなたは原始時代なら、確実に生き残れ
る人です」と言われた事がありますが、
その先生も小太りでしたので、自分に
言っていたのかもしれません。
 
 生き残る為の先祖の遺伝子。それは
「皮下脂肪を溜め込みやすい食物、
脂肪が多かったり、当分が多いものを
”旨い”と感じる味覚と言えましょう。
カロリー0の甘味料でも、砂糖と言う
人類からありんこに至るまで、欣喜雀躍
ものの食料に、味を似せているから
舌が騙されるわけで、糖や脂肪を多く
含む物を、ダイエット中であろうが
切望するのは、しかたのないことかと
思います。
 
 自炊していて、どれだけカロリーを
抑え、しかも美味しく作るかに、一番
苦労するのは、カレーです。
市販のカレールウ自体が、脂の塊。
昔のカレールウは粉状でしたが、最近の
はチョコレート状。
かき回せば、簡単に溶けると言う事は
油脂が主成分である事を現しています。
「カロリー1/2カット」をうたうルーが
あると言う事は、どんだけカロリーが
高い食材であるかと言う事です。
最近私は小麦粉を煎って(電子レンジで
3分程過熱するだけ)カレー粉と合わせる
事で、油脂を出来るだけ使わない様に
していますが、遺伝子が要求する味を
満足させるために、だし系を多用する
様にしていますので、どんどん和風の
カレーになりつつあります。
 
 和風カレーといえば、定番なのが
「カレーうどん」ですよね。
名古屋には、カレーうどんの名店が
多く、
「若鯱屋」は多くの支店を展開して
おります。
もともとうどん屋のカレーは、うどん
つゆに、カレー粉を合わせて、片栗粉で
とじたもので、普通のカレーとは全く
違います。
ただこのタイプのカレーうどん(この
上盛りをご飯にかけた”カレー丼”という
のもあり、最初に食べた時は驚いた)は
名古屋ではほとんど絶滅しております。
出汁がしっかり効いたうどんつゆに、
普通のカレーを合わせたものが、最近の
カレーうどんのつゆの定番です。
例外は、ここ20年くらいで急速に拡大
した、名古屋の新定番、
「カレー煮込み」で、これは、普通の
味噌煮込みにカレー粉を合わせたもの。
もともと味噌煮込みのつゆはどろっと
していますので、これはこれでいいもの
ですよ。
とりあえず、このカレーうどん、普通の
カレーに比べれば、ご飯とうどんの
カロリー差の分(もちろんうどんの方が
少ない)だけヘルシーとは言えますが、
つゆが多いだけにルーも沢山食べる事に
なろうかと思います。
 
 で、先日前から食べたいなと思って
いた店のカレーうどんを食べる事が
ありました。
昔から屋台のラーメンでは有名な、
天白区の
「丸平」ここのラーメンは若いときから
お世話になりました。
夜だけしかやって居ないのですが、
私は、今は無き昭和高校ラーメンの方が
好みでしたので、夜中に無性にラーメン
が食べたくなり、昭和高校ラーメンが
定休日(月曜日だった)の夜には、
お世話になりました。
まあ夕食はきっちり食べた深夜の話です
ので、完全にプレスリードーナツ状態な
私の独身時代の話です。
 
 この屋台ラーメンの丸平さんが、
ランチタイムだけ別店舗(でも隣)で
うどん屋を開業したのは、随分前の事
らしいのです。普段あまり行かない
場所だったので、一度もいった事が
なかったのですが、このコラムでもよく
紹介している、豚専門肉屋さんの
「ブリオ」さんが、隣にできたので、
もう気になって仕方なかったのです。
 
 でっかい看板が出ており、
「一番人気!牛すじカレーうどん。
6万食突破!」と、すごい事が書いて
あったので、さぞかし旨いものだろう。
だいたい、カレーうどんに牛すじの煮込
が入っているなんて。
旨いに決まっているわな。
 
 で、先日意を決して行ってきました。
この日はもう一軒名古屋では有名な
ある店に行ったのですが、どうも私には
ピンと来ない。
まあこのコラムもどんな方のお目に
止まるかは判りませんので、あまり
非難するような事は書きたくないけど
形が珍しいというだけで、旨いという
事とは関係ないのだなと痛感しました。
 
 まあそういう物を食べたので(幸い
単品で頼み、定食にはしなかったので)
なんか口直ししたいなと思い、初めて
丸平の牛すじカレーうどんを食べようと
思った次第です。
550円(税抜)という価格なので、
そんなに分量も多くないのでは?と
思ったのですが、なめてました。
けっこうなみなみと大きめの丼に入って
先に食べた食べ物で腹6分目みたいに
なっていたので、ダイエット中で以前
よりは胃の小さくなっている私には、
苦痛でした。
でも遺伝子が叫ぶのです。
このコラム風に言えば、
ヴォルテモート卿が。
「これは食べておけ。一滴残らず、
飲み尽くせ!」と。
胃が悲鳴を上げても、まだ食べたい。
というのは久しぶりです。
 
 充分に空腹で訪れたら、どんな結果に
なるのか?
ここのカレーうどんは、まあ水準だと
思いますが、牛すじ煮込みがタダモノ
では無い気がします。
一度トッピングとして注文出来る、
この煮込みと、さらっとざるうどん辺り
を合わせて、どんな感じになるか、
試してみたいと思っています。
 
 翌朝体重計に乗ったら、1kg以上増加
していましたが、後悔はしていません。
牛すじカレーうどんは、推定850kcalと
読んでいますが、当日食べたとある食品
を食べなければ、朝、夕との兼ね合いで
なんとかなる範囲ですので、
もう一度(かな?(笑))行くつもり
です(もう行った(笑))。
 
 自分の寿命の為に、カロリーを
コントロールをする事は大切ですが、
先祖の叫びを無視し続けると、ストレス
を溜めますので、たまにはこういう
高カロリーものをがっつりとらして
やらねばと思います。
予算的には550円というのはまあ昼食と
しては、無難な金額ではありますので。 
 
 
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  ナゴヤからの手紙  2014.8/7
 
「郷土の偉人」
 
 の事をコラムに書くのは、結構緊張
します。
三英傑はともあれ、近代日本で愛知県
出身の偉人と言えば、やはり
「豊田佐吉」ということになるでしょう
他県の方でも、この方の名はご存知の筈
「あぁトヨタの…」
と言う事に。30年程前の話ですが、
アメリカの片田舎にホームステイした時
「どこから来た?」
「名古屋」
「Nagiya?知らんなぁTokyo,Kyotoから
遠いのか?」
まあ、一般のアメリカ人の日本知識は
こんなもの。当時映画の”Shogun"が
公開されていたので、その関係の話も。
最初は東京と京都の間位の町で、とか
説明して居たのですが、何回も説明する
間に面倒くさくなり、
「TOYOTAの隣の町」と説明したら、
一発でした(笑)。まあその大トヨタの
創始者ですね。
 
 豊田佐吉と言う人は、創始者ではあり
ますが、実業家というタイプの人では
ありません。最も相応しい称号は、
「発明家」
三河に生まれ、もともと盛んだった、
繊維産業の発展のため、数々の紡績機
(綿や羊毛から糸を紡ぎ出す機械)や
織物機を発明した人です。
彼の才能は、全く新しい概念を作り出す
と言うよりは、既存のものを取り入れ、
それが最前の機能を果たす様、組み合わ
せる。そういう実際の製品をプロダクト
する、発明、工夫の能力でした。
 
 と、書き進めては居りますが、今回
コラムで取り上げる偉人は、佐吉では
ありません。
いつもの様に、私のナゴヤ情報のネタ源
である、地下鉄駅のポスターで、先月
辺りから、気になるものがありました。
 
「特別展 喜一郎の夢」
 
場所は西区栄生の産業記念館。
ここは、かつての職場の近くで、見学は
した事が無いのですが、夏に行われて
いた(今はやってない?)ビアガーデン
に同僚と行った事があります。
なにかトヨタ系の施設なんだなあ。と
漠然と思ったのですが、
ここがトヨタ発生の地。佐吉が最初に
工場を立てた場所だそうです。
 
豊田喜一郎、と言ってもなかなか俄には
どんな人か思い浮かびません。
トヨタには、
章一郎(佐吉の孫)
英二(佐吉の甥、中興の祖)
章男(現在の社長)と一族が社長を
継承する、現代の日本企業でも稀に
なって来た一族企業で
「若が立派になるまで」と番頭が頑張る
(石田退三の様に”中興の祖”と讃えられ
る偉人でも、必ず豊田家正統後継者に
道を開く)という図式が続いています。
 
 その中で喜一郎の立場は?というと、
「佐吉の子で、実質トヨタの基盤を
築いた人」には違いないのですが、
どこかで
「最初は”若社長の道楽”と自動車部門は
言われた」という話を聞いていたので、
前から興味があったのです。
二台目と言えば、徳川秀忠。秀吉から
名前を貰い、奥方は織田信長の姪
(豊臣秀頼の母淀君の妹、江(ごう)
=上野樹里(笑))という、
なかなか戦国な出自の将軍ですが、
関ヶ原の戦いに間に合わず、叱責された
とか、将軍なのに側室を持たない恐妻家
とか、なんか地味な、というか駄目な
(俺に言われたくはなかろう(汗))
イメージがありますが、この人がほぼ
江戸幕府を作ったと言っていい人。
 
 二代目はなかなか癖のある人が多い。
豊田喜一郎も、
奔放な才能を持つ佐吉の後継者として、
地味な実業家だったのか?
それとも、道楽で会社の金をつぎ込む
困った二代目なのか?
あまり知らなかったので、この際に
きちっと知っておこうと思い。さっそく
自転車で向いました。
 
 結論から言えば豊田喜一郎は、偉大な
父の威光に押しつぶされるどころか、
父の才能を受け継ぎ、戦後日本復興の
基礎を作ったとも言える、巨人でした。
言ってみれば、豊臣秀吉の実子が、
秀頼ではなく、徳川家康だった!
という感じ。
 
 豊田喜一郎は1894(明治27)年に
父佐吉、母たみとの間に生まれます。
佐吉は1867年生まれですから、27歳。
もう発明に熱中していた頃の子で、
ほとんど家に居ない。生活費も滞る。
堪り兼ねたたみは実家に戻り離縁。
実質僅か数ヶ月の夫婦同居生活であった
そうです。
最近は離婚すると、奥さんの浮気等で
有責であっても、子供の親権は殆ど
母側に行くそう(調停委員が古い概念で
”子供には母親が必要”一辺倒とか)で、
結果、浮気相手の男に子供が虐待される
等の事件が多く、社会問題になっている
様ですが、当時は子供は父親の家の物。
喜一郎も豊田家に引き取られます。
 
 3年後佐吉は、浅子と再婚。
非常に奇麗な奥様であったそうですが、
この浅子が喜一郎を育て上げます。
佐吉との間に2年後、愛子と言う娘が
生まれますが、継母の浅子は、喜一郎を
豊田家の長男として、かなり厳しく育て
たといいます。
浅子は気性が強く、夢想家の佐吉に
代わり、会社の実務面も担当したといい
ますから、かなり怖いかあちゃんだった
ようです。
 
 妹との間は良好で、この美貌の妹に
一目惚れして、伊藤忠の支店長を歴任
した児玉利三郎が、エリートコースを
捨て、まだ一介の地方実業家であった
豊田家の養子となり、愛子と結婚した
時も、この10歳も年上の妹婿(旧戸籍法
では義兄)と喜一郎との間は、親密で
ありながら、はたからみると結構火花
飛ぶ感じであったといいます。
 
妹が大好きな異母兄の天才長男。
兄を慕う深窓の美しき令嬢。
(この二人は今季アニメ”魔法学校の
劣等生”で再現されてしまう(汗))
東京から来たハンサムなエリート婚約者
 
嗚呼、なんというハイソなドラマ※!!
結局利三郎が良き理解者となり、本業
とは違う、自動車開発を財政的に支援
した。と言われています。
イイネ!男の友情。
 
※下世話な話ですみません(詫)でも
 今回このエピソードが一番琴線に
 触れた自称三文小説家の小生。
 美しい妹って、男のロマンですよね。
 現実の妹が居る人は、”ないない”って
 言うだろうケド(笑))
 
 さて名古屋の明倫中学(かつての藩校
明倫館。今の県立明和高校)から、
仙台の旧制第二高校に進み、
東京帝国大学工学部に進学。
やはり佐吉の血は頭いいですね。
展内には、各所に喜一郎語録みたいな
ものが壁にあったり、上から布で吊って
あったりしますが(電通の仕事か?)
その中で、感銘を受けたエピソード。
 
 高校時代と思われるが、当時は大正。
好景気で成金が生まれ、若者はそれに
反発して、資本家と労働者の階級対立
という社会主義的思想が入って来ている
という背景です。
「ある日、近隣の富豪が豪華な邸宅を
建てたのを見て、級友が激しく批判した
黙って聞いていた喜一郎は、”この一家も
相当な努力をして財をなしたのだろう。
問題は金を儲ける事ではなく、その財を
いかに産業に役立て、多くの労働者を
雇用して、生活を安定させ、国を富ませ
るのに貢献するかだ。それが本当の
デモクラシーというものだらう”と、
珍しく力説した。いつもは穏やかな、
彼の姿を見て級友は驚き、初めて
喜一郎の志の高さを知った」
 
 「風たちぬ」でも、主人公が当時の
日本の貧しさを憂うシーンがありました
が、大学卒業後父の会社に入った喜一郎
は、商談で欧米を訪れ、経済力の差と、
特に自動車交通の発達を目の当たりにし
愕然としたといいます。
家業である繊維機械開発(当時佐吉は
紡績機の開発を急がせていたが、喜一郎
が内緒で研究していた自動織機の図面を
後ろから見て”面白い。やってみろ”と
言ったと言う。初期の豊田最大の功績と
言われる豊田式無停止杼換式自動織機
G型は世界に輸出される大ヒットと
なったが、基本的には喜一郎の作品)の
傍ら、国産自動車の開発を研究します。
 
 佐吉が自動車にどの様な感想を持って
いたかは、実は不明(わしは紡織機を
やったから、お前は自動車をやれ。と
言ったと言うエピソードは、後の創作
らしい)ですが、周囲の番頭達は明らか
に反対。
「若のお道楽にも困ったもん」程度の
反応だったらしいです。
唯一義兄の利三郎だけが、上述の如く、
彼の高い志を買い、会社の利益の多くを
研究開発費として援助し、喜一郎の夢
実現を全面的に応援したといいます
(相当愚痴も言った様ですが(笑))。
 
 最初は失敗の連続。今は自動車工場と
言えば、関連の協力部品工場の供給する
部品を組み立てるものですが、最初は
そんなものはありません。部品一個から
作らねばならず、結局材料の鉄鋼を作る
所から研究を始めます。
組上げたエンジンが、初めて想定の馬力
を出す様になるまでに、相当の年月と
努力が必要だったとのこと。
 
 なんとかA型乗用車を発表し、様々な
欠陥を改良しつつ、漸く本格生産に入る
矢先(日産自動車の方がかなり先行して
いた)に戦争が激化。軍部からの要請を
受けてトラック製造にシフト。
戦後は、ドッジラインの影響で会社が
経営危機、労働争議で喜一郎は退任し
八事の自宅に隠棲。
しかし朝鮮特需で会社は立ち直り、
「また社長に戻ってきて戴こう」という
矢先に、57歳で亡くなります。
更に戦友の利三郎も数ヶ月後に鬼籍に。
 
 喜一郎の人生は、本業の経営には成功
したと言えますが、自動車の方は
「夢」の段階であったと言えるでしょう
しかし、彼の死後、トヨタ自動車は
御存知の大躍進をとげ、今や世界最大の
自動車会社です。
喜一郎のDNAが、掛け値なし。
この会社に生きていたからです。
 
 自動車評論家には
「60点主義の面白みのないクルマ」と
言われながら、カローラを世界で一番
生産された自動車にし、
 
「こんな車が作りたかったんだ」と
ジャガーの上層部に言わせたセルシオは
今や、ベンツと並ぶ(アメリカでは完全
に凌いでいる、レクサスブランドになりました。
 
恐ろしく高価でとても採算が取れない
と言われたハイブリッド車プリウスも
あっという間に稼ぎ頭に押し上げる。
もうこの辺はトヨタにしか出来ない
仕事でしょう。
 
 さらに世界中の辺境でランクルや四駆
トラック(世界で一番多く使われる
軍用車との事)が走っているのは、
ただ一言
「トヨタの車は壊れない」という信頼。
故障を繰り返し、アフターサービスで
経験を積んだ、初代A型の頃からの
喜一郎の信念が、今のトヨタを作った
と言っていいと思います。
ホンダにとっての本田宗一郎にあたる
のは、豊田佐吉ではなく、豊田喜一郎
である。と言って過言ではないでしょう
だからこそ番頭達も、大して旧家でも
ない豊田家の血を待望するのだと思い
ます。
 
 最後になりますが、この産業記念館、
500円という入場料もありがたいですが
展示も結構しっかりしていて、本業の
繊維機械関係の展示が充実。
古代の機織器から、教科書にもあった
「アラン・ケイの”飛び杼(ひ)”※」
ミュール紡績機や、
カートライトの力職機。
更に近代の様々な欧米製の機械から、
豊田の傑作G型。
そして最新の自動織機まで。
 
※機織り機では、縦糸を固定し、横糸を
 潜らせる事で織る。この横糸を導く
 ”杼”は最初別の人が、その都度投げ
 込んでいたが、ケイはワイヤで杼が
 移動する”飛び杼”を発明し、産業革命
 の序を作った。産業記念館には、
 豊田自動織機製最新型の、空気で横糸
 を飛ばす全自動織機の実演がある。
 
 また自動車館では、喜一郎達が最も
苦労した自動車部品の製造(プレス機で
実際に部品を打ち出してくれる。部品の
サンプルをくれるので、お土産に嬉しい)
から始まり、組み立て機の実演。
代表的な車種(初代セリカ!)など
結構豊富。
子供向けの工作教室もいいと思います。
愛知県が今、どんな産業に支えられて
いるかを考えれば、一度は見ておくと
いいかも知れません。
 
 喜一郎展では、解説してくれる女性の
ガイドさんが各所にいて、外国人の
見学者には、英語で流暢に解説している
姿を見て、結構しっかり運営している
のだなあと。思いました。
戦前の情熱。というか、モノ作りに
燃える、技術者の魂に萌えた一日でした
 
 
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  シェフのオススメ
 
「をれっととかwww」
 
 いう耳慣れない単語が、結構流布して
おります。
元々は
「札入れ」の事らしいですが、
「財布のひもを緩める」等、持ち金や
予算、家計の事も示す英語らしい。
最近は、テレビCMで所ジョージが宣伝
しているauウォレットが、その発信源
ですが、これ以前シトラスでもちょっと
話題になっておりまして、初期の
キャンペーンで、
カード作ると1000ポイントくれる。
というので、S氏に教えてもらって、
さっそく作ったのでした。
最近色々なカード類が溢れており、
何に使えるのか、いまいちはっきり
しないものが多いですね。
まあプリペイドカードなわけですが。
 
 私がいつも持っているのは、交通系の
カードです。
私のは名古屋市交通局のマナカですが、
先回大阪に行った時も、そのままJRで
使えたので、大変便利でした。
最初は常に1000円位チャージして、
ちょっとした買い物をコンビニでしたり
していましたが、どうも使えるお店が、
駅周辺から拡がらない。
結局定期券の範囲外で地下鉄に乗りたい
時や、今回みたいに他の街の都市交通に
乗る時以外は、あまり使わなくなり
ました。
 
 ナナコとかスーパー系のとか、持って
みたりしましたが、チャージが1000円
単位という辺りが、どうも面倒。
今回のauウォレットは、お金をチャージ
できるプリベイドカードですが、
表の顔が、完全にクレジットカードで
あり、つまり金額が支払いより多く
チャージさえされていれば、クレカが
使えるほとんどのお店で使える。
という利点があります。
 さらにauの携帯利用料金の支払いに
よって貯まるポイントを、そのまま
1ポイント=1円としてチャージできる
という、なかなか結構な利点があります
こういうのは、MNPにより別のキャリア
に顧客が逃げる事を防ぐという意味も
あるのでしょう。
 
 チャージは
携帯料金に加算して引き落としできる、
「auかんたん決済」
ネット銀行の
「じぶん銀行」
「クレジットカード(なんでJCBが駄目
なの?)」
そして
「auのポイント」から。
といろいろ出来ます。
まあネット銀行口座は今のところ開設
するつもりはなく、かんたん決済
(私の携帯料金はクレカ決済)や
クレカ決済は、支払いを先送りにして、
カード地獄に落ちる可能性があるため、
やりたくない。
 
 第一クレカからチャージするくらい
なら、クレカで払えばいいわけで。
結局ウォレットなどのプリベイドの
良い点は、財布の中の現金をぱかすか
使ってしまうことへの抑止力になる。
と言うところだと思います。
財布に1万円あったとして、そのうちの
5000円をチャージしておけば、月末で
だんだん苦しくなっても、クレカの効く
スーパーで食料品等を買うことが出来
ます。この時本物のクレカを使うのは、
結局借金を先送りするだけなので。
給料日にウォレットにチャージした
お金は、あくまでもその月の予算
ですので、出資の時間軸的に誠に
健全なわけです。
 
 昔から財布に金があると、それが今後
使わねばならない金でも、気が大きく
なってぱかすか使ってしまう性格の私に
とっては、結構ありがたいカードです。
ただし、この使い道だと、カードや
かんたん決済からのチャージでは無意味
な訳で、現金でのチャージが必要に
なります。
 
 駅やホームで簡単にチャージできる
交通系と違い、auウォレットは、
auショップでのチャージ。しかも実際に
1000円チャージしてみたのですが、
番号札(ウォレットチャージの選択肢が
できていた)をとり、待たされるので
は、いまや総合病院(最近は予約制が
主流)を凌ぐ携帯ショップで、延々
待って、店員さんにチャージして
もらわねばならず、面倒くさいこと
この上ない。
 
 IT系の最先端である携帯キャリアが、
自動チャージ機の一台もおけないとは、
情けない気がします。コンビのATM等で
簡単にチャージ出来るようにしないと、
普及しないのでは?
現金に比べ、浪費を抑止する利点が
ある、プリペイドカードなのですから、
簡単にチャージできる提携先をぜひ
開拓してほしいものです。
それさえ実現すれば、この
「なんちゃってクレカ」はなかなか
頼もしい相棒になりそうです。
 
 
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 お願い
 
 メールの転送を指定している購読者さまへお願いです。
 転送先が無くなったり、未読がたまってあふれてたりしてませんか?
 メルマガを発行すると多くの転送エラーメールが弊社に届きます。
お手数ですが一度見直しをお願いいたします。
 
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  パソコンレスキューはじめました
 
  Mac&Winのノートでハードディスクの容量が足らない!
 ノートパソコンのデータが読めなくなった!
 ウィルスにやられた!など、MacもWindowsもシトラスがなおします!
 多くのご要望にお応えしてWinでも「さすがシトラス」といわれる仕事をします!
 例えばディスクレスキューは\15000から。詳しくはメールでお問い合わせ下さい。
 
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